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この大会は、1995年に世界初のバッテリーEVレースとして、秋田県は大潟村が主催し、地元企業や”CarGraphic誌”の二玄社等の協賛のもと運営されており、
G/W真っ只中の5/2(土)、3(日)の2日間、大潟村ソーラスポーツラインにて開催された。
参加台数は71台。我々は今大会の最西端の参加チームとして、5/1早朝から移動開始。日本アルプスの雪景色に目を奪われないよう運転に集中すること1日弱、2日の明け方に到着。
正直、片道約1350kmには疲れを隠せなかったが、既にSuper Energyを始め、幾チームかが前日からキャンプを張っていたりと、この大会への思い入れの強さを感じ疲れてなんかいられないと気合が入り、セットアップを開始した。
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第1日目 ≪May 2(Sat)1999≫
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今回モーターでレースすること以外にも初の試みがあった。99年モテ゜ルのミシュランタイヤを使用したのだ。
これについてはフランスの有力チーム・OPTIMA RACINGがテストした結果、好評とのことから数セット入手。
当方ではまだテストを行ってないままの採用となったが、独特のサイドグリーンが印象的で他チームの注目を集めることになった。
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10:00より車検が始まる。このレースではドライバー重量のイコールコンディションをレギュレーション上で定めており、我々の場合、30s近くのバラストを積まなければならない。ブレーキテストが心配であった。
しかし、出発直前まで藤田氏による入念なブレーキ調整により一発合格。
最後にバッテリーの封印をチェックし、ああ、EVレースだなーと実感。
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12:30ブリーフィングを終え、13:00より公式練習スタート、天気は快晴。
EV初陣に心酔する暇もなく各員分かれところ、1周もせずにストップとの場内放送にメンバー一同驚く。
レース進行上の懸念として考えられていた、1周目の混雑時に折り返し地点で接触が起きた。相手は優勝候補のSuper Energyである。当方はカウルが外れた程度であったが、相手はボディが割れていたと練習後に知った。
レギュレーション上、直接我々がクルマに触れることが出来ず、カウルのはめ直しがままならない。
結局、1時間半以上も残し練習走行を終える事になった。公式結果は0周、3035.6m総合で66位明日は後方からのスタートである。
その後のドライバーズブリーフィング゙及び開会式を径て、もはや隠し切れない落胆と疲れを癒すべく一路ホテルへ。
日没を眺めながらの温泉入浴で鋭気を取り戻し、委員会主催の名刺交換会に出席、飛騨高山の山下先生をはじめ多くの同志と交流を深め、有意義な時間を過ごせた。(後日、山下先生来広。その節はFCデザインへお立ちより頂き有難うございました。)
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第2日目≪May
3(Sun)1999≫ |
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雨が降りそうな曇り空の中、09:00いよいよ本戦開始。
後方からのスタートでも必ず上位へ絡めると自信を持ちクルマを送り出す。
しかし、いきなり1周目にカウルがまたも外れる。どうもカウルの脱着機構に少々ガタが来ていた様だ。
しかし昨日より外れの程度が軽く、ゴールライン付近のエスケープゾーンでオフィシャルに指示を出しカウルをはめ直し、万一のためにもガムテープも張ってもらった。
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追走を再開したFC98-EVはコンスタントに好タイムを刻み中間チームに肉薄する活躍を見せたが、残り30分少々で姿を消す。
ドライバビリティ向上をねらってチューニグ゙した操舵機構の上にバラストによる重量的なストレスが溜まり、 5週目に右側下のアップライトを破損するも引き続き走行を試みたが、6周目、今度はイタロッドを連結するジョイントが壊れ、操舵不能となりFC98-EVはバックストレートで沈黙した。
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優勝はチームヨイショットMITSUBAのUSO-800号、2位は昨日我々と接触したSuper Energy。
当方は、オープンクラスで28位、総合で44位また大潟村村長賞を受賞した。
事前準備を色々こなして来たとはいえ、いざ実戦となると戸惑いを憶えるところも幾つかあった。
今回十分な結果を残せなかった悔しさを忘れず8月の菅生、そして1年後のリベンジ゙を一同誓い、我々にとって悔し涙の如く降る雨の秋田を後にした。
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御声援御協力大変ありがとうございました。by sue44
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